好きなものがあるっていいね

高校生が、かばんにジャラジャラ、なんか、いっぱい付けて下校している。
キーホルダーとかぬいぐるみとか缶バッヂとか。
それがなんのキーホルダーで誰の缶バッヂかはわからないけど、
好きなものがたくさんあるってことは、よくわかる。

高校生には、まだ好きなものがたくさんあって、
なるべく、好きなことばかりしていたいと彼らは思って生きているが、
これから大人になって、
生活のためにやらなければいけないことが増えてくると、
自分が好きだったものも、何かに夢中だった自分も、
すっかり忘れてしまったりする。
なにかを好きってことすら思い出せなくなって、
「あれ、好きってなんだっけ?」と思うこともある。

最近は、「オタク」という言葉も市民権を得てきて、
大人になっても、人に理解されない趣味を持ち続けられるようになったが、
この国の「社会的であれ」という圧力は、他の国より強い。

社会的な役割をまっとうしようとする日本人の生真面目な性質が、
日本の社会を、安全で利用しやすいシステムにしているのは確かだが、
その社会的役割は、誰かに取って代わられる可能性があるからこそ、役割なのだ。
社会的役割には、「掛け替えがある」。
自分が抜ければ、その仕事は、自分以外の誰かがやってくれる。
そのことに考えが及ばず、「かけがえのある」役割のために自分を追い込んで、
心を病んだり、自分を死に追いやる人がいるのは、本当に悲しいことだ。

「シャツを着た以上はシャツを着た人間として振る舞うが、
  シャツと皮膚とは異なるものだ」
そう、フランスの哲学者・モンテーニュは言っていた。
社会的役割を脱いでも、自分の好きなものやしたいことは残る。
シャツが皮膚ではないように、
社会的役割は、自分自身ではない。
今後、高校生は、嫌でも社会的役割を背負うのだから、
今は、自分の「好き」を大事にしてほしい。
他人に理解されなくても、
好きな缶バッジをかばんにジャラジャラされていてほしい。