「一を聞いて十を知る」必要はない

思春期は成長が激しい年頃なので、
同じ16、17歳だとしても、子どもの間に、大きな違いを感じます。
家庭環境がそうさせるのかはわかりませんが、
大人のように、現実的に要領よくものを考える子がいる一方で、
まだ小学生の延長で生きているような子もいます。

学校の授業で、グループ単位の活動をさせる場合、
最低限の説明でやるべきことが理解できる
「一を聞いて十を知る」ような子がグループに一人いると、
ものごとはだいぶスムーズに進むので、大人は、そういう子を重宝するようになります。
ただ、「一を聞いて十を知る」ような子は、大人になる過程で、
だんだんと、「一を聞いて十を知った」気になり始めることがよくあります。
本来は、一つ一つ違うはずのものや人を、自分の知識に当てはめて、
「一」見ただけなのに、「十」わかった気になる。

「一を聞いて十を知る」ような”頭の良い子”には、そういう落とし穴があります。
本来、私たちは、「一を聞いただけで十を知る」ことなどできません。
「一」は「一」でしかなく、「十」ではないのです。
私たちにできることは、「一」からすぐに「十」を決めつけずに、
「十」の可能性や、「十」の関連ごとを考えることくらいです。

生物学者の今西錦司氏は、学生が他人の論文や本からの引用で自説を補強しようとすると、
「君、それは自分の目で見たことか」と、
人の頭で考えたものに対して容赦しなかったといいます。
「一」読んだだけで、さも、自分が「十」考えたような顔をするな。
自分の頭で考えてきた人は、絶対に、”借り物”を許しません。

そもそも、「一を聞いて十を知る」という時、
その 「一」すらも、誰かに聞いた”「一」です。
誰かに聞いただけの「一」から導き出した「十」なんて、
間違っている可能性が大いにあります。

まだ思春期の子どもたちは、「一を聞いて十を知ろうとする」よりも、
「一を聞いて、二を自分で調べに行く」くらいでちょうどいいのだと感じます。
自分の足で、「二」を調べに行くような子は、
変な落とし穴にはまることもありません。
16,7歳の段階では、”頭がいい”ことよりも大切なことが、たくさんあります。